NHKの「美の壺」を見て、母が銘仙の着物を「ねんねこ」にしてくれて、とってあったことを思い出して、出してみました。
「ねんねこ」と言っていましたが、「ねんねこ半纏(ねんねこばんてん)」が一般的な呼び名のようです。今は赤ちゃんをおんぶすることはほとんどないと思いますが、私の若い頃は出かける時、家事をするとき、また泣いて困るときなどに、おんぶをしていました。
この「ねんねこ」は母の若い時に着た銘仙の着物を仕立て直してくれました。娘が赤ちゃんの時ですから、もう45年前になります。真冬ではなくて、寒さがまだ残るころ、薄さがあって軽いのですが暖かく、出掛ける時便利に着ていました。
着物は母の時代、自分で仕立てることが当たり前でしたので、洗い張りをして仕立て直して着て、着られなくなったら他の物に作り替えていたのですね。
後ろ姿
着付け練習用のボディにキューピーを赤ちゃんにしておんぶをさせてみました。(キューピーは娘たちが子供のころ母が買ってくれたものです。)
おんぶ紐でおんぶしていました。
母の着物だった銘仙地を、見てみました。やはりたて糸に染色されて織られています。
三つの柄が一つの型で染められたように思いましたが、それぞれの柄の型を置いて染めたようにも思えます。
母がこの着物を着た頃は戦後間もないころだったと思います。まだまだきれいな着物は手に入りずらい頃で、大事にして、着る時はうれしく着ていた着物だったように思います。着物が大好きで私にも何枚も着物を作ってくれた母です。母が元気な時に、銘仙織のことも詳しく知っていたら、楽しく話が出来ていろいろなことを聞けたことと、残念に思っています。